第17回「映像」平和学習会 短信 2019年6月23日 香芝市公民館 17人出席         

         NHKスペシャル “原爆の絵”は語る~ヒロシマ被爆直後の3日間~

                  NHK放送 2017年8月6日の録画から 

                                                                                                                ときめき屋正平・記
                                       

 あらすじ 

 俳優の東出昌大と波留がナビゲーターとなり、生き残ったヒバクシャが描いた絵を手がかりに、ヒロシマの3日間を追体験するキノコ雲の下の真実とは。
  
 上映の冒頭に主催者から発言があった。日本の軍部は原爆投下に向かっている米軍爆撃機の情報を認識していたが、国民や広島市民に防空壕などに避難するように、等の周知を行わなかった。と主張する著書があると。これが知らされていたら犠牲者ははるかに、少なかっただろうと、語った。

 公開されている爆発直後の写真はない。生き残ったヒバクシャが、記憶にある惨状を絵で残した4200枚がある。五感でとらえた証言の記録です。市民自らの手で爆発直後の絵を残そうという運動が起こった。熱い、痛い、炎上する建物の下敷きになり、はい出せない、引っ張り出せないで、その場から去らざるをえなかったことを悔やむ無念の文言を添えてある絵もある。炎・煙・川面や土手道路に積み重なる遺体。ほこりと臭いなども描かれている。全身やけどで、さ迷い歩く。目玉が飛びだし、それを左手で受けている、座り込んだヒバクシャの姿の絵。脳裏に焼き付いた光景、音やにおい、心情まで伝えている絵。広島市内に当時35万人が暮らしていた。
夏らしい晴天の1945年8月6日。B25爆撃機が白いものを上空から落とした瞬間を描いた絵がある。
 8時過ぎ火の玉、キノコ雲、さまざまな形の火柱が描かれている。この世の終わりがやってきたのか。爆発30分過ぎた頃から黒い雨が降りだす。道端のくぼみにたまった黒雨水を数人がはいつくばって飲んでいる。雨の中立っている人の指の爪はなく、変形した指のその先っぽから青白い炎がでている。指から溶け出した液体が雨に流されていく絵。
 8月7日爆発から2日目。市内は遺体であふれかえっていた。川面でもたくさんの死体があることを描いている絵がある。こどもを胸に抱き前かがみの姿勢で、片足をあげて走り出すような立ったままの真っ黒な遺体が描かれている絵。真っ黒こげで、路上に腹ばいの遺体の下に、赤ちゃんの黒い手や足の遺体が描かれている絵。散乱し腐乱した遺体は火葬するしかなかったことを絵にしてある。胴体のふくれた黒、紫や赤色の無数の遺体の絵。正確な数字ではないが、1945年だけで死者14万人という。描かれた4200枚の絵。鎮魂の祈り、2度と繰り返えさせてはならない。私たちの願い。

 感想。意見など。
〇平和の問題を考えた。こういう会を大切にしていきたい。香芝では毎年8月6日8時から親水公園で追悼式が行われている。
〇今でも、どこかで生きておられるのではないかと思う。魂は近くにおられるのではないか。
〇防ぎようがなかった。しかたがなかったが。米国によるヒロシマ・ナガサキへの警報を日本軍は無視していたのではないか。テニアンから来た飛行機(爆撃機は)何を持ってきているか、日本陸海軍は知っていたという情報もある。
〇(絵ではあるが)凄惨である。
〇学校に転校生がきて「ピカドンにあった」ので転校してきたと何度もいっていた。ピカドンとは何なのか当時自分にはわからなかった。本日みた絵でよくわかった。
〇言葉につまる。
〇それでもなお、まだ、核兵器を開発している国がある。北方領土を「戦争」で取り返すという議員がいる。
〇昨日(6月22日)毎日新聞の夕刊の記事で、半藤利一(作家)さんが、秋篠宮の長男から「ヒロシマ・ナガサキ」に原爆が落ちたのはなぜかと問われた。という記事がでた。アメリカのせいで落とされた。なぜ戦争に突入したのか。うやむやにしてしまう。ないないにしてしまう。しかたがないという日本国民。正確な情報が流されなかった。知らされなかった。ほんまの情報を流す、伝えるように国民が監視せなあかん。
〇絵を描く。そして残していく人がいるのだと感心する
〇原発をやろうという会社や人間がいる。こういうリーダーがいるのが心配である。南海トラフで地震があると言われているのに。自分たちの利益だけ考える会社、人がいる。
〇戦争しない政治家を選ばなあかん。
〇父親を沖縄戦で亡くしている。今日の絵で、立ったまま亡くなった人の絵をみて、ほんとうに痛ましい。
〇原爆のことは、18歳で会社の寮に入って、そこで初めて知った。寮管理のご夫婦が原爆被爆者だった。たまに身体がボコボコと膨れる症状が出る方でした。原爆や原爆症のことは18歳まで知らなかった。無関心であった。
〇原水禁の京都での丸山公園音楽堂での集会に出た。当時運動は分裂していたことを思い出す。昨日(22日)原水爆禁止国民平和大行進・香芝コースに山口逸郎さんが先頭を行進された。映画監督の山口さんは、これで全国通し行進は7回目である。本年は和歌山→三重→奈良に入り奈良南部コースから、26日京都→奈良に入る東海道本隊に合流される。87歳です。
〇感動しています。衝撃(の絵)です。
以上。
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追記。「原爆の絵」の収集と運動に当初から関わり成功させた、広島在住の画家「四國五郎」さんの、関西初の展覧会が大阪大学総合学術博物館で7月20日まで開催中です。日曜日は休館。入場無料。大阪民主新報6月10日号に特集記事が出ました。また6月24日には「しんぶん赤旗」に詩人の熊井三郎(上牧町在)が「四國五郎に学ぶ 反戦平和 詩と絵で訴え」と題して論文を発表しました。

次回18回の「映像」平和学習会は7月28日10時から「アフガニスタンの山の学校の記録」の鑑賞という予告案内がでました。中央公民館3階です。