: 15回「映像」平和学習会(香芝市) 短信        ときめき屋正平・記 
「従軍作家たちの戦争」  初回放送 NHKスペシャル 201381422時~


平和のための香芝戦争展が主催する、月1回(421日)の平和学習会開催のお知らせから。
あらすじ:日中戦争から太平洋戦争にかけて陸軍のメディア戦略、日本文学報国会などに所属する火野葦平をはじめ、佐藤春夫、菊池寛、林芙美子などが軍にどんな協力をし、戦後どう責任を問われたのか、有名人の顛末です。 主催 平和のための香芝戦争展 

火野葦平の20冊に及ぶ軍隊手帳が発見され、日中戦からインパール作戦まで、火野の従軍の足取りを軸に陸軍報道部、中国派遣軍報道部の対敵宣伝プロパガンダを追う。戦争が始まれば物資はもちろんのこと、兵隊や銃後の国民の精神・思想まで徹底的に動員するのである。
文学報国会の活動は思想戦の一分野である。1937年日本軍7万人は首都南京を占領。石川達三「生きてゐる兵隊」(中央公論3月号)発禁。1938年久米正雄ら従軍作家陸軍部隊、菊池寛ら海軍部隊中国へ出発。1938年(昭和13年)徐州作戦。火野作「麦と兵隊」8か国語に翻訳される。1939年映画化され大ヒットとなる。文春の菊池が仲立ちして内閣情報部は20人以上の作家を動員して、ペン部隊と称して送り込む。林芙美子らは漢口一番乗りとはやされ、帰国後各地での「講演会」は盛会となる。
1941
年大東亜共栄圏をめざして太平洋戦争に突入。フィリピンへ尾崎士郎、火野葦平、石坂洋次郎らを派遣。1942年映画「東洋の凱歌」東洋は一つであるとする、新しい神話の追求である。フィリピン捕虜に日本語教育、武士道など精神教育を実施する。3カ月の教育のあと捕虜は故郷に返される。のち、彼らの多くは抗日戦を戦った。1942年日本文学報国会結成。文学を通じての大東亜戦争完遂を意図する。    
 戦後菊池寛、火野葦平は公職追放。1960年火野葦平自死。(53歳)


映写後の感想、意見。18人参加。
○    
現実的に国民が戦争に組み込まれていくことを実感した。いま、東京新聞の女性記者を官邸から露骨に排除しようとしている。戦前は国民総動員で記者、画家など逆らうものはブタ箱に入れられた。
○    
爆弾三勇士の宣伝、教育を受けた。
○    
本で作家たちの生き方を知っていたが、この映像を見て、追い込まれて人間でなくなっていく。不安になる。戦争はいかんなあと思う。
○    
最近の子どもの絵本に爆撃機、戦車などが描かれている。昔はバスや、汽車だったのに。
○    
ゲームも戦車ゲームばっかり。
○    
ワンピースのTVで、仲間を救うために爆弾をだいて行くシーンがあった。私らの子どもはアルプスのハイジだった。
○    
映像の中で、ダイナマイトを100本前線に送ったら、50本受け取ったと返信がきたという。50本は「食べた」とは、どういうこと? 軍隊は食糧不足なので、途中で食料と物々交換したり、換金されたりしたんや。
○    
中国では「歴史を忘れず、未来を語る」という。こういうふうにならないと、戦争になるとすべて利用される。戦争をしない国づくりをしないと
○    
人間として、生まれた時期によって大変な違いがある。空腹だった。苦しかった、おやつなんかなかった。芋とツルの間の生り物でさえ買いに来る業者があった。加害者にも被害者にもなりたくない。
○    
昭和19年生まれ。じいちゃんは住友のプロペラ作っていた。赤ちゃんの時空襲があったが、二上山のすぐ麓の下田方向だったので、山頂直下の空襲爆撃は免れた。
○    
人間は「今は幸せだなあ」と思う。終戦後昭和22年生まれで、周りは戦争の跡かただらけだった。
○    
豊臣秀吉がやった戦争を映画で、今、我々は見ている。われわれも怖い存在である。
○    
丹波の地で戦争体験なし。防空壕はない。逃げたりした記憶はない。
○    
「悪魔の飽食」という本で、医者と中国に連れていかれた兵隊が731部隊に編成され、恐ろしい人体実験をした。今、南京虐殺なかったとか、慰安婦のことはいうな、とか言われたりしている。
○    
天皇は可哀そうだ。天皇は靖国神社には行かないというのは立派だ。東条英機がきらいだったから、靖国に参らないのだと個人的に思う。
○    
今日の奈良新聞(2019.4.21)に、天皇は靖国に行かなくなった。戦犯を祀っているところには平成天皇はいかない。という記事が出ている。立派だ。昭和天皇は沖縄をほったらかしにした。
 *奈良新聞の記事から抜粋 「靖国神社」の解説コラム欄。 終戦までは軍直轄の神社で、国家神道の精神的支柱。戦後に宗教法人化されたが、天皇の参拝は1975年以来途絶えているため、天皇陛下の代になってからは一度もない。78年A級戦犯14人を「昭和殉難者」として合祀(ごうし)した。この合祀に昭和天皇が不快感を示したことが、当時の宮内庁長官、故富田朝彦氏が記したメモなどで明らかになっている。
〇 最近、公文書を書き換えた官僚は、国賊である。法治国家でありながら。
〇 イラク駐留自衛官が帰国して、自殺者がでたが、いまだ、自衛隊に復帰しない(戻らない)人が20~30人いると聞いた。自衛隊を辞めたわけではないが。
〇 インパール作戦の映像を見て戦争はあかんと思った。
〇 兵隊はモノ、消耗品である。インパール作戦の指揮官は3000~4000人死んだら、作戦は成功して勝てると言明した。
〇 イモのツル食べた。
〇 南京の現地へ行ってきた。当時の国民は惑わされていた。「南京虐殺のことは」身の毛もよだつ思いであった。戦争はしたらあかん。